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徳川家康と風水その壱:家相と風水の違いについて

日本の歴史の中で、実は風水は大きな役割を担ってきました。
古くは平安京の造営から、江戸時代まで、風水は脈々と伝えられ、時代の権力者達に影響を与えてきました。

これからしばらくは、シリーズで「徳川家康・江戸幕府・風水」について、岩津先生の著書からご紹介して参ります。

そこで、「風水」と、「家相」について、基本的な見解を述べておきたいと思います。

鬼門」という言葉に代表される家相学は、大昔(奈良時代)に大陸から伝わった古い風水が、日本独自の味付けで変形して今に伝えられているものと言えます。少し詳しくご紹介しましょう。おもしろいですよ。


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↑風水では、北を下にして図を描くのが一般的です。


家相学では、東北は鬼門と言って完全否定しますが、風水では違います。
そのときによって、気の流れは変わりますから、絶対的な凶方向などは、存在しないのです。むしろ、この20年(第8運)は、東北方位は大いに結構な時期なのです。

そもそも、鬼門の「鬼」という生き物、アレは東北方位を指す「丑寅」から、「牛」の角と、「虎」のパンツをはいたイメージを怖いものの象徴として作り上げたものなのです。時は奈良時代、時の権力者に、ある教団が取り入るために、考え出した概念のようです。それがあまりにも強烈だったため、鬼は一般にも広まり、鬼門という言葉も、日本独自のものとして根付いたのです。

ですから、伝統的かつ近代的な中国風水では、鬼門は無視、というか存在しないのです。
もし、鬼門がどうこう言っている風水師さんがいたら、風水と家相を混同している、ウワベだけの人である可能性が高いと思いますよ。ご注意ください。

ただ、東北という方位の基本的な性質について、わたくしたちが覚えておくべきことがあります。
それは、「はじまりとおわりの境目にある。」ということです。
これは、次からお話しする徳川幕府と風水の関係においても、重要なポイントとなります。また、第8運である現在にも当てはまるキーワードなのです。

assisted by 近代図案